奇妙な夢

今朝方に見た夢がとても愉快でした。

 

まず、主人公は私みたいでした。私はツイッターをしていることになっています。

 

私に後輩ができました。知っているような、知らないような顔が並んでいます。私はいつも通りツイートをします。後輩たちが笑います。ちょっと面白いという評価がされます。後輩たちから親しみを持たれます。私はたまに後輩に絡んだりします。後輩たちから、とても喜ばれます。飲み会に行ったとき、後輩たちにとても嬉しそうに話しかけられます。おしゃれで面白いとか言われます。喜んで調子に乗るのでした。

 

しかし、次第に飽きられていきます。ツイッターだって、メディアを通じたコンテンツの一種。飽きられたら、それはもう風景です。今のテレビ番組もそうでしょう。人の耳には聞こえます。目にも見えます。でも、脳には、意識には、決して届きません。それは風景です。そよ風です。あまり綺麗ではない、死にかけの木のようなものです。もう「刺さらない」のです。

 

私はそれに気づきません。いつも通り、自分は面白いと勘違いして、何か言った気になります。でも、それはもうそよ風です。死んだ木です。反応する価値がありません。

 

私が絡んだりします。後輩は「ああ、またか。一応、リアクションするか」と機械的な動作をします。私もそれに気づきます。

 

その頃には、私は足元からだんだん木になっていきました。腰が、背中が、バキバキ、メキメキと音を立てながら木になります。

 

私だけではありません。同じような友達も、先輩も、後輩も、だんだんと木になっていきます。遠くから、蔑む声が聞こえます。「バカみたい。ネットばっか見てるから、あんなになるのよ。」そんな彼女たちも、すでに木になっています。私がそれを伝えようとしても、声は届きません。もう、木になってしまったのですから。

 

ただ、息をするしかありません。木は光を取り込もうとします。一部の木が、勢いよく空に向かって伸びて行きました。その木は光を取り込み、大きくなりました。

 

木の陰も大きくなりました。陰になった部分の木は死にます。肝心の大きな木も、重さに耐えかねて倒れてしまいました。

 

そんなことがあちこちで起こります。こっちをバカにしていたあのグループも。

 

そして、次は自分の番みたいです。隣の木が大きく伸び始めました。

だれも幸せにならないのに。お前も倒れるのに。それは伸びていきました。

 

そして木が成長し、あたり一面が暗くなった頃、私は夢から目覚めました。

花火の音を背に、コンビニでビールを買った

気が変わったりしなければ、どうやらデジタルマーケティングの業界で働くことになりそう。そういうわけで、当該分野のテキストを買いに本屋へ寄った。

 

マーケティングに関する実用書のコーナーで、業界の先輩に薦められた本を探す。無さそうだ。

他の本屋で探そうと目線をあげたとき、一冊の分厚い本が目に留まった。

 

「2017年度 宣伝会議賞 優秀作品集」

 

2017年の宣伝会議賞には、ほんのちょっとコピーを提出し、2本だけ1次選考を通過した。自分は箸にも棒にもかからないわけではないと思った反面、プロの壁の厚さも感じた。

 

本を手に取ってみると、1次を通過した自分のコピーが2本、小さく掲載されていた。

宣伝会議というのは阿漕な商売をするもので、こういった本を買うか、あるいは立ち読みでもしないと、自分のどのコピーが評価されたのかわからない。だから、ここで初めて選ばれたコピーを知った。

 

意外にも、片方は適当に書いた短いコピーだった。キャッチコピーというのは、書くよりも選ぶ方でセンスが問われる。ここで自分にとって「意外」なコピーが選ばれているということは、まだまだということだ。

 

そもそも、宣伝会議賞の1次を通過するのは、よほどセンスのない人でない限り難しいことではない。1次選考の通過率は1パーセント。100本書けば1本は通る。1つのお題につき50本までコピーを登録できるが、お題をある程度しぼり、それぞれ50本ずつ埋めるようにすれば、各1本は通るだろう(逆に、幅広く10本ずつ出すようなやり方だと、少し厳しいかもしれない)。

 

とはいえ、やはり自分の名前がこうした書籍に載るのは、少し嬉しい。

本屋を後にし、また別の本屋で目当てのテキストを購入し、家路についた。

 

今日は鎌倉花火大会だ。江ノ電のホームには、浴衣を着た男女や、浴衣は着ていなくとも、それなりのお洒落をした男女が目立つ。

 

こういうのを見て、中島はとかく非リア的な感情を抱くものだと、みんなは思っているだろう。実際は違う。電車が遅れたりしてムカつくな、無駄にスケボーを持ってきた男の連れてる女はだいたい退屈そうな顔をしているな、俺の前でベタベタすんなやオタクカップル、と思うくらいで、ほとんど何も感じない。

 

ただ今日は、先ほど本屋で感じた小さな喜びが、卑小に見えてきてしまった。彼らは誰かから与えられた評価に喜んでいるわけではないから。対して自分は、ショボい評価軸に一喜一憂していただけだ。

 

小さな興奮がすっかり消え失せた頃、最寄り駅についた。

無性にビールが飲みたくなった。後ろの方で花火の音がする。振り返らずに、コンビニに向かった。ビールがぬるくならないうちに、足早に帰宅した。

 

自室に入り、部屋の一点を見つめる。自分はここ1年半くらい、あらゆる選択の失敗をしてきたと思う。何がいけないのか、何を次に活かせるか、皆目検討がつかない。

 

考えてもしょうがない。かれこれ100回以上は聴いている、At the Drive-Inのお気に入りの曲をかけ、ビールを飲んだ。

 

 

 

 

そしたら全部解決しました!!!!!

アイム・ソー・ハッピー。

イェーイ。

 

 

就活で失敗した話⑴

2018年3月あたりから就活をしてきましたが、まるで収穫がありませんでした。心がしんどい。多分、留年すると思う。

 

何がいけなかったのか。準備不足、性格、やる気。

反省点を挙げればきりがないけど、一般論としてリスク管理がなっていなかった。

 

僕が志望していたのは出版と広告。そして出版は2社受けた時点で「向いてないな」と悟り、他の会社の面接を辞退した。この時点で広告一本。しかも、広告は4社しか受けていなかった。

 

電博をはじめとした、東京の大手総合広告代理店上位5社(電博ADK,jeki,東急とするね)の採用人数を全て合わせると300人ちょっとくらい。

仮に誰かが「広告5社受けた」と言っても、実際にはSONY1社しか受けてないと言っているのと同じだ(もちろん、受験者の重複があるので単純にはいかない)。

 

そう考えるとメチャクチャにハイリスクである。

広告志望の人は上手くリスクを回避して欲しい。

 

例えば消費財マーケティング職だったりすると、ストプラと似たようなプロセスがあるし、大手広告代理店の営業と商社の求められる人物像はリンクする部分がある。こうした「似た部分」がある他業界を、よく吟味すべきだ。

 

また、特に何の経験も無いのに某のインターンに受かったことから「俺センスあるんじゃね?」とか思ってしまったのも痛い。「内定を目指す活動」の一環として捉えれば、有名インターンは「すでに広告を勉強した学生がアピールする場所」に他ならない。そこでアピールできないと、クリエイティブ志望で本選考を通過するのは難しい。これも後から気づいた。

 

これを読んでいるお友達は、僕みたいな失敗例をよく踏まえてほしい。

あと、後輩のみんな。僕が留年しても、腫れ物に触るようにしないで、仲良くしてほしい。もうタメ口でええで。

 

 

 

 

私事:犬の話

 石名坂にはこの地域の焼却処理施設がある。ゴミ処理のみならず、ペットの火葬も(破格で)請け負っている。

 

 今日はそこに行ってきた。12年弱もの間わが家にいてくれた、愛犬の遺骨を受け取りに。

 

 リュックに受け取った骨壷を入れ、自転車で走ってきた。最後の愛犬の世話だ。

 

 人生の半分はこの犬といたことになる。犬の存在は暮らしの前提だ。17時になればご飯を用意しなくてはならない気がする。物音がすると、あいつかな、と思う。その度に、僕は底なしに暗い気持ちになる。

 

 いつもの散歩道を歩けば、元気に歩いていた頃が思い出される。前から笑顔で走ってきそうな気がする。今こうしてパソコンに向かっていても、いつもの物欲しげな顔が浮かんでくる。

 

 僕は就活を進めないといけない身でもある。面接に行って、笑顔で「働きたいです!」なんてやるのだが、御社を一歩出ると、僕は死んだような顔をしている。当たり前だ。僕が死のうと生きようと構わないおじさんたちが、犬より大事なわけがない。あれは世界で一番可愛い存在だったから。

 

日記、暇なGW

 GWはとても暇で、友達の少なさがひしひしと感じられる。就活を意識して予定を入れないでいたが、僕が志望するようなホワイト企業様はGWに選考なんてしない。余命いくばくもない愛犬の介護と、鎌倉への散歩で過ぎていった。

 

 天気が良い日は外に出ないと気が済まないので、今日も鎌倉に出かけた。車の多いこと。GWに車で鎌倉に来れば、ものすごい渋滞に巻き込まれることは、少しググればわかることだと思う。どうしてこんなにも多くの人が車に拘るのか、僕にはわからなかった。そりゃ群馬ナンバーや富士山ナンバーなんかは車がいいだろうけど。もしかすると、車を持つことで「使わなければ購入費や維持費が勿体無い」という意識が生まれるのかもしれない。混雑と移動時間に目をつぶり、車を持たないという選択肢を無視すれば、安いのは確かだからだ。

 

 ノロノロと走るレンタサイクルや似非ロードバイク乗りを追い越し(ガチなロードはリスペクトしている)、家から15分程度で鎌倉についた。鎌倉にもそろそろ飽きてきたので、今までとは少し違うことをしようと思った。「ハイランド行き」と書かれたバスが走っていたので、ついていった。竹寺を通り過ぎ、住宅街を抜けると、そこは墓だった。

 

 鎌倉霊園という。鎌倉は3方が山に囲まれているが、北東側の山の頂上付近にその公園墓地はある。確か、横浜市金沢区と接していると思う。ここがとても良い場所だった。墓参目的でないので中に入ることは遠慮したが、山と海に囲まれている。中でのんびりとできそうだ。今すぐ入りたくなってしまう人も多いだろう。

 

 そういえば、僕が将来入るかもしれない墓は西麻布にある。いま住んでいる家よりも通勤通学をしやすい。「フツー逆じゃね?」と思う。

 

 金沢に入る気力はなかったので引き返した。鎌倉にはあまりにも人が多く、自転車を押して歩道を歩くことができないほどであった。ここは渋谷か。東京がそのままこちらにスライドしたようだ。東京人が川を覗き込みながら「しらすがいる」と言っていた。しらすは海で獲れるものだ。しらすに関して適当なコメントをすると、切り通しから突き落とされることが条例によって定められている。その東京人は県警によって連れていかれ、鎌倉時代末の激戦区だった稲村ヶ崎の切り通しから突き落とされた。嘘です。

 

 

 普段東京に集まるような人種が多く来るので、裏渋なんかでよく見るモードテイストのファッションで鎌倉を訪れる人も目立つ。東京ではイケてると思えるのだが、鎌倉で見るとどことなく肩肘を張った、無理のある服装に見えてしまうのが面白かった。俺イケてるぜ?などといかにも思っていそうだし、仲間内のDJをやっていそう。インスタグラムに自撮りや、彼女の写真を頻繁に載せているに違いない。これは偏見だが、そういう人間は、多分、前世で虫をたくさん殺していた。

 自分は、いかにも服に気を使っているように見えるのは好きでない。ついでに言うとトレンドが怖い。少し前にメタリカのTシャツが流行ったが、これも多くの人はメタリカが何だかも知らずに着ていたそうだ。流行が過ぎると、それは「ダサい」に変わる。ただの流行なら良いが、メタリカは音楽でバンドだ。それがもともと好きだった人はどうなるのだろう。流行は焼畑農業のようなものだ。過ぎた後には、しばらく何も残らない。ユニクロのTシャツなんて最たる例だ。ユニクロにTシャツを作られたら終わり。それは人とよく被るダサいバンドTだ。ユニクロのせいか、Joy DivisionのUnknown Pleasuresを若い人が着ていた時期もあった。僕はまだ何も知らなかったので、この人はJoy Divisionが好きなんだ、そう思って話しかけそうになった。Ian Cartisの踊りをしながら。

 

などと考えている内、安全に1日が終わりました。

就活における「社員」の発音

「社員」

 

普通は「シャ」にアクセントが置かれ、「イン」は平坦に発音されるものだと思っていた。「シャ↑イ↓ン↓」みたいな。割と周りもそうだと思う。

 

しかし、就活の場においては、「シャ」と「イ」の両方が強く、「ン」でグッと下がるように発音される傾向があると思う。「シャ↑イ↑ン↓」みたいな。

 

これはなぜだろう。五分くらい考えて、理由を予想してみた。

 

①「社員さん」の意である説

 

「社員さん」と表現した際、「シャ↑イ↓ン↓ さ↓ん↓」と発音するか、「シャ↑イ↑ン↓ さ↑ん↓」と発音するかの2つに絞られると思う。

 

前者の発音だと、徐々に下がっていくため、明瞭に伝わりづらい感じがする。

それに対して、後者の場合、「さ」でまた上がるので、明るい響きに聞こえるだろう。そのため、やや発音しやすいと思う。

 

社員を崇め奉り、敬意を表さなくてはならない就活の場では「社員さん」といった、丁寧な感じがする言葉を意識するはずだ。「社員さん」「社員様」と就活生が心の中で唱える中、「シャ↑イ↑ン↓」という発音が広まっていったのではないか。そう予想した。

 

②「LINE」の呪い説

 

SNSの一番人気、もはやインフラとなっているLINE。これは「ラ↑イ↑ン↓」と発音される(英語の発音と違うけど)。そしてこの「LINE」、完全に「社員」と韻を踏んでいるのだ。

 

若者がLINEを日頃から活用しているなか、会話や思考の過程で「ラ↑イ↑ン↓」という音を思い出したり聞いたことは多いはず。

 

それと韻を踏んでいる「社員」も「LINE」に引っ張られたのではないか。

 

チッス。

 

 

 

運動音痴の小学生を運動嫌いにしたくないという話

運動神経悪い芸人という企画がある。

 

僕もそちら側でありながらも、ゲラゲラ笑いながらたまに観ている。

 

そういえば人は笑うと免疫力が高まったりするそう。笑いは体に良い。

 

アルツハイマーの予防にもなるとか。笑いは脳にも良いんですね。

まぁ少なくとも明るい気持ちになるしね。

 

そうすると、運動神経悪い芸人は視聴者の健康や精神に良い影響を与えていることになる。

すなわち運動神経が悪いことによって人のためになっている。

 

仮に「面白さ」を評価軸にする競技が存在しても、それは間違ったことではないのではないか、と思った。

この文明が進んだ時代に「上手い」「速い」「強い」だけの価値観しかないのは、ある意味マヌケな話だ。想像力が貧困だね。

 

ところで、運動嫌いの人っているよね。時間がなくなっちゃった人とか事情は様々だろうけど、明らかに学校の体育で良い思いをしていない人がいる。

 

どういうわけか、小学生くらいの時って運動神経がクラス内の力関係の決め手になったりする。運動音痴ってだいたい陰キャラに育っていく気がするけど、そういう環境要因があるかもしれない。まぁ、いまこうして自分が陰キャラになってしまったことの言い訳だけど。

 

個人競技の経験のおかげか、僕は運動音痴でも一人でコソコソ運動すればいいやって思っていて、健康やストレス解消に大助かりだ。

逆に、運動に嫌な思い出があって、ストレスのはけ口に運動が選択肢に上がらないのは、その子供の人生にとって損失かもしれない。

 

そういうことで、運動神経が悪くて周りに笑われるという状況を、ポジティブに捉えられるようなアイデアがあれば良いと思う。

 

何か思いつけば適当に吐き出していきたい。

今の所は

 

敵チームを笑わせると攻めなら出塁、守りなら1アウトにする野球

 

笑ったらスクワット10回のサッカー

 

笑ったら腕立て伏せ10回のドッチボール

 

などと凡庸なアイデアしかない。

笑ったらスクワット10回のサッカーはちょっと面白そうな気がする。

おいおい、いろいろ考えつつ実行できればいいなって思う。